僕は今から4年前に当時通っていた慶應大学を休学してビジネスを始め、今では年間1億円以上の収益があり、切に育ててくれた母親には毎月100万円の仕送りをしています。

でもビジネスを始める前までは貯金2万円借金65万円の貧乏大学生でした。

そんな僕がどうやって今ここまで来ることができたのか、僕がこの4年間で学んできたビジネス知識と合わせて書かせてもらおうと思います。

こんにちは。
森谷和正(もりやかずまさ)です。

僕は発信も長く続けていて総フォロワー数も以下の通り25万人を超えているので、もしかしたら既にSNSで知ってくれている人もいるかもしれません。

ビジネス以外に著者としても活動していて、僕が出版した本がTSUTAYA書店でビジネス書ランキングNo.1になった時は、母親もすごい喜んでくれました。

自分が3年前に創設した物販ビジネススクール『ミライズ』には500名以上の生徒さんが在籍しており、今まで学生からサラリーマンの方、シングルマザーの方、定年退職をしたあとのおばあちゃんまで色んな方に指導をしてきました。

美味しいご飯を食べるのが大好きで365日外食しています。

ちなみにこの前生徒さん達と行った焼肉は会計が20万円でした笑。

思い付きで友達と旅行に行ったり、

最近だと色んな経営者さん達との繋がりもあって、

自由に毎日楽しく仕事をしています。

ただ、今ではこのようにビジネスで結果を出して自由な生活を送り、親孝行もできるようになった僕も、ビジネスを始める前までは35万円の投資詐欺に遭ったり、更に金融機関から65万円の借金をしたりと、散々な人生を送っていました。

クレジットカードの引き落としがあるのに銀行残高が足りなくて、実家に催促手紙が来たこともあります。親から「このクレカ会社から来てる手紙はなに?」って聞かれた時は肝が冷えました。(なんとか必死に言い訳して逃れたのが今思えば可愛いです)

お金がないというのは精神的にもキツイもので、当時は辛すぎて自殺を考えたこともあります。

5年前の写真があるのでここに貼っておきますね。

見た目もなかなかにヒドかったです。

勿論、当時ありふれた大学生だった僕がビジネスを始めるといってもお金なんて一切ないので、母親に土下座をして100万円を借りた所から僕のビジネスは始まりました。

それが今から丁度4年前です。両親には本当に迷惑をかけました。

そんな散々な状況だった僕がどうやって今では年間1億円以上も稼ぎ、母親に毎月100万円の仕送りができるようになったのか。それを今回いい機会なので書くことにしました。僕がビジネスを始めてからこの4年間で得た知識を惜しみなく話していきます。

なので5分ほど僕の話にお付き合い頂けると幸いです。

母親に毎月100万円の仕送りをしているというと、すごい親思いの良い子供だと勘違いされそうですが、ビジネスを始めるまでの僕はひねくれ過ぎて親の言うことなんて何1つ聞いたことがありませんでした。

丹精込めて母親が作ってくれた手料理にさえ、

「こんな不味いご飯食べれねえよ。」

ってヒドい言葉を吐いていました。ありえないです。

家庭内でもすごい問題児で、高校生の頃なんて3人兄弟の僕は姉に手を出して怪我させたり、8個も離れた妹を怒鳴って蹴飛ばしたりしたことさえあります。そのとき妹なんて小学生ですからね。普通に家庭内暴力、DVでした。今考えると自分本当にヤバかったなと思います。警察のお世話にならなかったのが奇跡です。

そんな僕なのに、両親は父親も含めてすごい昔から優しくて、僕がやることに全て、

「そうだよね。かずがやりたいようにするのがいいよね。」

と言ってくれていました。

僕の父親は普通のサラリーマンで、母親は僕ら3人兄弟を育てるために会社をやめて主婦として頑張ってくれていました。なので到底裕福とは言えない家庭だったのですが、僕は小学校から私立に行かせてもらいました。

当時、幼稚園生だった僕は特段理由もないのに、

「私立の小学校に行きたい!」

とワガママを言っていたんです。

でもそれに対して両親は、

「いいよ。かずがそうしたいなら、そうしよう。」

と優しく言ってくれました。僕が通っていた小学校の学費は年間100万円ほどする所だったのに、今考えるとよく通わせてくれたなと思います。

そして私立の小学校に行くことになった僕は小学4年生のときに、

「中学校は違う私立に行きたいから、塾に行かせて!」

とワガママを言います。

塾に通うとなるとプラスで年間100万円以上するのに僕の両親は一切否定せず、

と言って、お金を出してくれました。

なのに僕は結局受験に大失敗した挙げ句、両親に対して責任を押し付けて、

「お前らがどっちも高卒で頭が悪いから、僕が受験に落ちたんだ。」

って言ってたんです。

今考えるとすごい申し訳ないことをしたのですが、僕の母親はすごい優しくて、

「そうだよね。私達の頭が悪いせいでごめんね。」

と謝ってくれました。

なんだか、この文章を書いている今でも本当に何をしていたんだろうと申し訳なさで涙が出てきそうです。

そして僕は滑り止めでなんとか受かっていた中学校に通うことになります。無名といえど中高一貫校で私立だったので、またしてもめちゃくちゃお金がかかることになりました。なのに両親は嫌な顔一つせず、お金を出して通わせてくれました。

そして今度、高校3年生になった僕はその傲慢さが変わるどころか更にエスカレートして

と予備校の申込書を持っていったんです。

それに対し両親はまた嫌な顔ひとつせず、

「分かった!かずなら出来ると思う!頑張って!」

と応援してくれて、お金を出してくれました。

僕は今度こそと思って受験を頑張りました。ずっと結果を出せなかった人生だったけど、ここで必ず成功するんだと。そう思って毎日勉強に明け暮れました。

毎朝5時半に起きて学校の自習室で勉強して、夜は予備校で22時まで毎日勉強しました。予備校でも授業に誰よりも早く行って一番前の席で授業を受けていました。今まで散々上手くいかない人生を送ってきたけど、ここで絶対に東大に受かって逆転するんだと。

毎日15時間勉強を1年以上続けた結果どうなったか。

僕は東大に落ちました。

もう人生終わったなと思いました。なんでこれだけ頑張ったのに報われないんだよと。僕の人生をかけた大勝負も上手くいかず、1週間くらいは家の近くの海岸に行って、真冬の中ずっと号泣してました。辛くて辛くてご飯も喉を通らず、1週間で5キロ痩せこけました。

ただ時間だけは過ぎていき、僕はその時なんとか受かっていた慶應大学に入学することになります。

僕が通っていた慶應大学の理工学部は年間165万円の学費がかかり、その他に入学費や教材代なども高いんです。それも全部親が嫌な顔せず出してくれました。

この文章を書きながら、両親はこれまで僕に何千万円かけてくれたんだろうと思ってます。計算するのが怖いくらいです。普通の家庭なのでそんなお金出せるわけもなく、姉と妹もいる3人兄弟なので、今思えば僕のために借金をしてくれていたんじゃないかなと思います。両親は反抗的な僕にずっと愛情を注いでくれました。

しかも母親は毎日小学生の頃から高校3年生の頃までずっと12年の間ずっと朝6時前に起きて、僕が学校に持っていくお弁当を作ってくれていたんです。なのに「ありがとう」なんて一回も言えたことがありませんでした。

僕は大学に入ってからもずっと受験に落ちたことが悔しくて、なにか始めようと思っていました。

このまま負けて終わってしまうのがすごい悔しくて、東大に行った奴らを見返せるなにかを探していました。

そんな僕は結局年収で勝てれば、見返せるだろうと思って何か自分の力でお金を稼げるものはないかと考えるようになります。

ただ当時の僕は全然何の知識もないので、本屋に行ったり、SNSで調べてみたり、そのくらいしか出来ることがありませんでした。

周りの知り合いで起業している人がいるわけでもないし、情報収集すると言ってもどうすればいいのやら。。。

結局まだ18歳で全く世の中のことを知らなかった僕は、

「お金を稼ぐなら「投資」しかないんじゃないか。」

と考え、FXや株についての本を買い漁りました。しかも両親のお金で。

そして色々と勉強してみたはいいものの、結局自分1人でやれる自信がなく、どうしようか悩んでいた時に、Twitterで1通のDMが来ました。

そこには、

「現在『日経225先物取引』でのトレードで不労所得を明日から得られる方法を教えます。希望であればご返信下さい。」

と書いてありました。今考えれば如何にもという感じの怪しいDMだったのですが、まだ世の中のことを一切知らない僕は、

(こんな絶好のチャンス逃すわけにはいかない!)

と思って、すぐ「教えて下さい!」と返信をしました。そしたら、

「分かりました。では横浜で直接お会いして教えます。」

と返ってきて、その人と直接会うことになりました。しかも呼ばれた場所が『横浜ベイシェラトンホテル』という高級ホテルのカフェラウンジで、当時の僕は勿論そんな場所行ったことなかったので、そんな場所で話すんだとめちゃくちゃワクワクしていたんです。

それで当日そのカフェラウンジに行くと、めちゃくちゃビシッとスーツで決めた格好いい人が入口で待ってました。両手にはルイ・ヴィトンのいかついリングをしていて、ネックレスもルイ・ヴィトンでした。年齢も僕の一個上で、今は投資で月100万円以上を稼いでいるとのこと。名前は『谷 樹(たに たつき)』という人でした。

詳しく話を聞くために席に着き、注文をしようとメニューを見たらコーヒーが一杯1500円もして驚愕したのを今でも覚えています。

僕は普段体験しないその異空間に、緊張すると同時に自分も早く同じように投資で稼げるようになりたいと、今すぐ始めたいと思いました。

それで話をしていくと、谷さんはとあるシステムを利用して稼いでいるようで、僕でもそのシステムは使えるとのことでした。ただその利用に“30万円”がかかるとのこと。

「え、高すぎない!?」

と最初思ったものの、そんなのすぐに投資で稼げるようになるから大丈夫だよ、と言われました。

しかもタイミングがすごい良かったのが、谷さんに会う直前に、たまたま単発で知り合いの家庭教師をした給料の受け取りがあったので、ちょうど30万円ぴったり銀行にあったんです。

僕は、

「これは神様が僕にやれって言っているのかな。」

と何故か自分の中で都合よく解釈して、その場で即決しやることにしました。

その旨を谷さんに伝えると、

「分かった。じゃあ今からこの場に30万円現金で持ってきたら教えてあげるよ。」

と言われたんです。

内心、

「なんで現金手渡しなんだろう?」

とは思っていたんですけど、警戒心が一切なかった世間知らずの僕は、その場で30万円を引き出して谷さんに30万円を払いました。

丁寧に谷さんは1万円札の枚数を数えて、しっかりと30枚あることを確認すると、

「おっけい。じゃあ下の契約書にサインして。明日から始めるから。」

と言われて言われるがままにサインをしました。当時僕が書いたものがあったので、ここに貼っておきますね。

今まで散々上手くいかないことばかりだった人生も、ここでしっかりと逆転してできると喜んでいた僕は、そのまま翌日を楽しみにして帰りました。この投資に出会えたおかげで、谷さんに出会えたおかげで、自分の人生は一気に救われたんだと。そう思っていたんです。

そして、

最初はたまたま谷さんも他の人の対応とかで忙しいのかなと思っていたのですが、僕がLINEして1時間しても2時間しても5時間しても10時間しても既読にならず。1日経っても、5日経っても、1週間経ってもLINEが返ってくることはありませんでした。

そう。谷さんは詐欺師だったんです。もはや『谷 樹(たに たつき)』という名前が本名だったのかも怪しいのですが、無知だった僕はまんまと騙されました。

今考えるとこんな典型的な詐欺によく騙されたなと思います。現金で持ってくるあたりだったり、他にも話を濁されることがあったりと、ふしぶしで気にかかるところはあったんです。

でも当時の僕は彼を信用してお金を払いました。

散々でした。神様なんてこの世にはいないんだなと。

本当に辛かったです。もう諦めろということなんだと感じ、それからしばらくは大学に行っても、バイトに行っても放心状態でした。

勿論谷さんからお金を取り返す方法がないかとも考えたのですが、そもそも手渡しでお金を払ってしまったので、足がつくはずもなかったんです。

両親に散々迷惑をかけてきたバチがあたったのかもしれませんね。

この出来事が19歳、僕の大学1年生が終わる頃でした。

詐欺に遭った後の僕はもう完全に諦め状態で、それまで考えていた投資などは一切忘れることにしました。

自分なんてどうせ何をやっても失敗するから、それなら何もやらない方がリスクもないし、前みたいにお金も取られることもないから、そうやって生きていこうと考えるようになったんです。

その頃の僕はもうすっかり東大に落ちたことによる反骨精神なんてなくなり、

「どうせ大学生活を過ごすなら楽しいほうがいいよね!」

と開き直って大学2年生、3年生と遊び呆けるようになります。

9時から始まる1限の授業なんて行かないでぐっすり寝て、昼ぐらいに大学に向かっても授業なんて受けず、昼ごはんにラーメンを食べては、そのまま友達とカラオケに行ってダラダラ。

必修の授業だけは出るものの、やる気なんてないので枕を持っていって爆睡してました。

課題だって自分でやらず、友達が解いたのをそのまま写して提出するのが当たり前で、テストも前日に詰め込んでギリギリ単位を取るみたいな生活。

夕方くらいになったらバイトに行って、夜まで働いて1日が終わっていました。

休みの日も当時大学1年生の頃から付き合っていた彼女と横浜をブラブラ歩いて過ごして、詐欺に遭ってからお金が一切なかったのでご飯に行くといってもサイゼリヤかガストに毎回行き、しかも割り勘どころか「金欠だから」と言って彼女に出してもらっていたんです。最低な彼氏ですよね(笑)。

(しっかり値段をチェックする僕。。。)

でも本当に資金状況としてはひどいもので、僕の通帳にあるお金は常に2万円でした。

というのも毎月のバイト代が5万円だったんですけど、毎回給料の振り込みがあった日に5万円をおろしに行って、それを使って1ヶ月凌ぐみたいな生活だったんです。だから銀行の通帳にあるのは常に2万円前後でした。

ちゃんと1回デートなんてしようものなら合計で1万円ぐらいして、そんなことしたら僕が普段生活していけなくなっちゃいますからね笑。

彼女とのお泊りでさえ、横浜の『マンボー』っていうネカフェでした。ほんと今考えると、よく彼女もドン引きしなかったなって思います。

そんな感じで詐欺に遭ってからの僕はやる気とか一切なくて、もうこのまま就職して普通に生きていこうと考えていました。

ダラダラと遊んで、ダラダラとバイトをして、毎日同じ生活をしながら、時間が過ぎて大学を卒業できればそれでいいと。

別に目的もなく、熱量もなく、日々が過ぎていって、大学3年生も終わりかけていました。

そんな時、“とあること”がきっかけで僕は人生が一気に変わることになります。

僕の人生を180°変えることになった出来事があります。

それが大学3年生の10月に行った”グアム旅行”です。この旅行を機に僕の人生は一変しました。

まさか当時の僕はそんな人生を変える旅行になるとも知らず、先程も書いた彼女と、

「なんかせっかく付き合ってるんだし、旅行でも行きたいよね。」

みたいな軽いノリから旅行へ行くことになったんです。

どうせ行くなら海外にしようかという感じで行き先はグアムに決まったはいいものの、僕にはお金がないものでして笑。

さすがにどんなプランを探しても僕の貯金2万円でグアムなんかに行けるわけもなく、彼女にはバイト代が振り込まれる月末まで待ってもらって、前の月のバイト代5万円が振り込まれたその日に支払いを済ませました。

とはいっても現地でご飯を食べたりするお金はなく、当時はクレジットカードさえ持ってなかったので、現地でかかるお金は全部彼女に持ってもらうことになりました。本当にありがたい。。。

すごい旅行自体は楽しくて、勿論お互い大学生でお金があるわけではなかったので贅沢なんて出来ないものの、それまでにしてたデートとは全然違ってすごい充実していました。

丁度写真が残ってたので下に貼っておきますね。

それがグアムにあるアウトレットでした。

今でも鮮明に覚えているのですが、グアムにはアウトレットがありまして。それがすごい大きかったんです。そこには様々なレストランの他、日本でも売られているアパレルメーカーがたくさん入っていました。

それでたまたま僕は自分が知ってるアパレルブランドであった、トミーヒルフィガーにふらっと入ったんです。

そしたら日本で2万円で売られていたのと全く同じセーターが日本円で5000円で売られていたんです。丁度それが僕がずっと1年くらい前から欲しいと思っていたものでして。当時の僕からしてみたら「え!?!?」って何回もタグを見返してしまうくらい衝撃だったんです。

僕はずっとお金がなかったので、日本で売られているその2万円もするセーターを買えるわけもなく諦めていました。買ってしまったらその月の生活費がなくなってしまいますからね笑。

なのでグアムでそのセーターを見た時に絶対欲しいと思ってしまい、彼女に懇願して買ってもらうことにしたんです。僕の熱意に押されて、彼女も渋々買ってくれました。

(「いや彼女に買ってもらったんかい」というツッコミはさておき)

しかもどうしても欲しかったので全く同じセーターを2色買ってもらいました。

今でもそのセーターは大切に取ってあります。

そして、その時僕はふとこう思ったんです。

(いや。。。もしかしたらこのセーターをたくさん買って日本に持って帰って売ったら儲かるんじゃね!?)

と。

確かに自分の分は欲しかったけど、これを大量買いして日本で売ったらどうなるんだろうと、その時僕は考えました。

(日本での価格2万円ではすぐ売れないにしても、15000円とかにすれば誰か買う人いるっしょ。)

とその場で売られているトミーヒルフィガーのセーターを見て思ったんです。

でも当時の僕は社会のことなんて全然分からなかったので、法律とか関税とかそういう危険もあるんじゃないかなと考えて結局その場でセーターを大量買いすることは断念しました。

しかも彼女にそれを話しても、

「自分の分くらい買えるようになってから考えなさい。」

と冷たくあしらわれてしまいまして。。。

結局自分の分2着だけを購入してもらって、日本に帰ることにしました。

ただこのグアムでした体験が、後々僕がビジネスを始めるきっかけになります。

でも当時の僕はそんなことなんて知るはずもなく、帰りの飛行機でもセーターのことで頭がいっぱいでした。

ずっと隣りにいる彼女に、

「こうやったら儲かるんじゃないか」

と自分の空想をずっと話していました。

そして彼女と日本へ帰国し、僕はその空想を実現させる方法はないかと調べ始めます。

2万円のセーターを5000円で仕入れることができるんだという体験は僕にとって革命的なものでした。

もし1着15,000円の利益が取れようものなら、もしそれを100着一気に販売することが出来れば150万円の利益になります。

手数料や送料を考えればそんな上手いこと行かないとしても、1着1万円の利益が取れるのであれば100着で100万円になるんです。すごくないですか?www

って言っても、今からしてみれば「安く仕入れて、高く売る」という”物販ビジネス”で考えれば当たり前の稼ぎ方なのですが、『物販』という言葉さえ知らなかった当時の僕は大興奮で毎日そのことしか考えられなくなっていました。

詐欺に遭ってから完全に熱量を失っていた僕が、これなら自分の力でお金が稼げるのではないかと、もう一回希望を見いだせる唯一のものだったんです。

毎日朝から晩までずっとネットや本屋でその稼ぎ方を調べに調べました。

そしたら、どうやらその「安く仕入れて、高く売る」というやり方は『物販』や『せどり』といい、しかも既にそのやり方を実践してお金を稼いでいる人はたくさんいると分かったんです。

最初は全く知らない業界だったので怪しく危険に見えていたのですが、『物販ビジネス』というのはちゃんと真っ当な稼ぎ方であるというのも、その時初めて分かりました。

同時に、

・物販にもたくさんの種類があり、セーターなどのアパレル以外にも利益が取れるジャンルはあること

・ちゃんと勉強すれば初心者でも利益を出すのは可能なこと

・まず最初は海外ではなく、日本国内で完結する物販がいいこと

なども分かりました。

ただとは言っても、ネットの情報をどれだけ見ていても自分で考えて出来るような気は一切しなく、

という気持ちばかりが強くなっていく日々。

そんな時にたまたまInstagramで物販ビジネスをやっている人を見かけたんです。

というのも僕はSNSでも積極的にリサーチをしており、当時色々と検索している中でその人が出てきました。

(ちなみにその人は現在ビジネス自体を引退しているので、迷惑がかからないようここで名前は伏せさせて頂きます。)

その人は投稿やストーリーで、物販での収益化やビジネスについて発信をしていて、なんとなくこの人なら信頼できるなと思ったんです。

それで今度は僕から直接その人にDMを送って、

「よければお会いできませんでしょうか?」

と聞きました。いやその勇気すごいなと今となっては思うんですけど、その時の僕は若かったのもあって、勢いに任せてDMしました。

そしたら翌日くらいに連絡が返ってきて、

「東京に来れるならいいよ。」

と。

もう僕はその返事が帰ってきた瞬間に嬉しすぎて、

「ありがとうございます!東京に行かせていただきます!」

と返信しました。

僕はその人に呼ばれた東京の六本木まで行き、カフェで2時間くらい話しました。

その人は僕と同い年の当時21歳で、質問攻めする僕に対して1つ1つすごい丁寧に答えてくれました。

「どうやったら物販は始められるんですか!」

「僕でも出来ますか!」

「何を仕入れたらいいんですか!」

「これって飽和しないんですか!」

「どこで仕入れたら利益が出るんですか!」

「僕お金ないんですけど大丈夫ですか!」

と今考えれば何と意味の分からなくて失礼な質問を僕はしたんだろうって感じなんですけど、その人は全て細かく理由も添えて説明してくれたんです。

そして実際に自分もやってみたいので、僕に物販の稼ぎ方を指導してくれませんかとお願いしたら、

「それなら僕が講師をしている物販スクールがあるから、そこで勉強したら?」

と提案されました。

正直すごい悩んだのを覚えています。というのも、

・その物販スクールの入会費が65万円で、入会するなら借金をしなければいけなかったこと

・投資詐欺に遭っていたので、お金を払うこと自体が怖かったこと

が不安としてあったからです。

貯金が100万円くらいあったらよかったんですけど、残念ながら通帳にあるのは2万円。もし借金をして返せなかったら、どうしようと不安のほうが大きかったのを覚えています。

すごい悩みました。金額も金額で学生からしてみたら大金です。次の失敗は許されません。

でもその人のスクールは事務所もあって、ちゃんと結果を出している生徒さんも多く安心できたのと、やっぱりこのまま失敗続きで人生終われないなと思ったんです。

それに最悪これでだめだったとしても、バイトを死ぬ気で頑張ればなんとかなるだろうと。

そう意を決して、僕はその65万円する物販スクールに入りました。

こうして僕は『物販ビジネス』を始めることになりました。それが今から4年前、大学3年生の12月のことでした。

僕は普通の大学生でバイト以外に収入があるわけではなく、金融機関に借金をして65万円を払いました。

分割にしたので毎月の支払いが2万円ほど。貯金も2万円だったので、1ヶ月はなんとか利益が出なくても耐えられるんですけど、もし2ヶ月目にも結果が出なかった場合は完全にキャッシュアウトという状況だったんです。

ちなみにクレカ会社から催促手紙が届いたのが丁度この時なんです。僕の手違いで最初の支払いがすぐ来て、通帳を見たら2万円もなく、支払いができませんでした。この時はクレカ会社に電話してなんとか支払いを1ヶ月遅らせてもらい、事なきを得ました。

ただ母親にその手紙を見られてしまい、すごい心配されました。

「大丈夫なの?借金してるの?騙されていないの?」

とずっと聞かれたんです。

僕は強がって、

「大丈夫だよ。」

とだけ伝えましたが母はそれでも心配そうな顔をしてました。

それはそうですよね。親に内緒で借金をしてビジネスを始め、しかも返済できていない状況なわけですから。

これは僕だけじゃなくて、例えばもしあなたが借金をしてビジネスをやろうとしているのを親御さんが知ったら心配しますよね。全力でビジネスをやるのを止められるかも知れません。

僕の母もすごい心配だったんだろうなと今でも思います。

でも僕はやるしかなかったんです。

今回は、投資詐欺に遭ったときとは違って一世一代をかけた大勝負だったんです。失敗したらどうしようとかではなくて、なにがなんでも上手く行かせるしかありませんでした。

しかも投資詐欺に遭った時もそうだったんですけど、スクールに入るのは親に内緒にしてたんです。どうせ親に説明しても心配されるだけだし、面倒なことに時間を割いている場合ではなく、一刻も早く物販で利益を上げたくて。

そして、切羽詰まっていた僕はそれまでに持っていた全てを捨てました。

めちゃくちゃ辛かったのですが、3年付き合ってグアム旅行にまで一緒に行った彼女ともその時別れました。涙が止まりませんでした。

そして、大学も辞めようと思って両親に、

「起業するから大学を退学したい。」

と伝えました。すると両親には、

「いきなり退学するよりも、一旦休学にしたら?」

と言われたので、まぁそれでもいいかと休学にしました。

いきなり息子が何を言い出すんだって感じですよね。親からしてみたら大学に入るまで散々お金を払ってきて、大学に入ってからも3年間学費を払ったのに何言ってるんだと。でも僕の両親は相変わらず優しくて、

「かずがやりたいようにしなね!」

と言ってくれました。

しかも物販で仕入れに余裕があったほうがいいかなと思い、母親に、

「起業するための資金として100万円貸して欲しい。」

とお願いしたら、

「分かった。かずがそういうなら。頑張りなね。」

とだけ言って、翌日僕の銀行口座に100万円を振り込んでくれていました。

僕は当時持っていた全てを捨て、逆に自分の人生の全てをかけて物販をスタートしたんです。

そして、物販を始めた結果どうなったのか。

なんと僕は初月から”10万円の利益”を出すことが出来ました。

ありがたいことに僕が当時入った物販スクールは詐欺ではなくて、いつでも何でも講師の方に質問したらすぐ答えてもらうことができたんです。

そういったサポートをしてもらえる環境が、まだなんのビジネス経験もない自分にとっては一番心強く、その環境のおかげで僕は初月から10万円もの利益を出すことが出来ました。

めちゃくちゃ嬉しかったです。本当に本当に嬉しかったんです。それまで月収5万円のバイトしかしたことない僕からしてみたら奇跡だと思いました。

飛び上がって親にも報告しに行ったのを覚えています。両親も僕が喜んでいるのを見て、すごい嬉しがってくれました。

それまでずっと両親には僕が受験に落ちて泣いてる姿しか見せられていなかったので、僕が物販で利益を出して喜んでいる姿が見れて、自分のことのように嬉しがってくれたんだと思います。

僕自身も物販を始めるまでは一切自分の努力が報われた経験がなかったので、ちゃんと自分の力でお金を稼ぐことが出来たのが夢のように感じました。投資詐欺に遭っていて、物販を始める前にすごい不安だったのもあり、当時の僕は余計に嬉しかったんだと思います。

今となっては確かに10万円という小さい金額ではありつつも、あの10万円がなかったら今の僕はありません。

あの10万円から僕のビジネスは始まったんです。

僕にとっては大きな一歩でした。

そして、物販ビジネスでのコツを掴んだ僕は2ヶ月目も更に利益を伸ばすことができました。

というのも物販はやってみたら分かるのですが、やればやる分だけ知識が増えて効率化されていき、同じ利益を出すためにかかる時間も少なくなっていくんですよね。それに加えて自分の頭でも多少考えることが出来るようになり、利益額も増えました。

なので2ヶ月目はすんなり前の月の利益を超えて、月利17万円を超えるくらいの所まで行きます。

物販は最初が一番覚えることも多くて大変だったのですが、一回慣れてしまえば後は繰り返しの作業である部分も多いんです。なのでこの頃くらいから安心して物販に取り組むことができるようになりました。

最初みたいなドキドキ・ハラハラ感はなくなったのですが、安定して収益を上げていける実感を掴むことができたのは、借金を当時抱えていた僕からしてみたらすごい精神的にラクになれてよかったんです。最初みたいな「来月の支払いどうしよう」という気持ちがなくなって、このまま物販を同じように続けていれば、どんな最悪な状況になったとしても、支払いができないなんてことはないなと感じられるようになりました。

そのような気持ちで物販に取り組めるようになったのもあり、3ヶ月目は更に利益を伸ばせて月利23万円まで来ることができました。

つまり初月から3ヶ月目までの利益を合計すると50万円ピッタリとなり、借金も15万円ちょっとのところまで少なくなったんです。

バイト以外でお金を稼いだことがなかった僕は、自分の力で利益をあげることができたという成功体験がすごい嬉しくて、物販にのめり込んでいました。

このまま行けば来月には借金が返せるし、1年で月利100万円もいけるペースだったので、このまま突っ走っていこうと。もっともっと稼げると。その確信がありました。

ただその頃くらいから僕はちょっと自分の中で突っかかるものを感じ、悩むようになります。

3ヶ月が終わったくらいの頃から僕は、物販を続けていく上で少し悩みを抱えるようになりました。

物販は順調に利益を伸ばしていけており、更に物販での利益を伸ばしたいと思う一方で、少しずつ僕は自分の中でモヤモヤを抱えるようになったんです。

その悩み、モヤモヤの正体がなにかというと、

(あ、これ別に自分ひとりで物販を頑張っていてもつまらないな。)

という感覚でした。

確かに物販で稼げるようになったのは嬉しかったんですけど、1人で頑張っている感じが強かったんですよね。

物販というのは、別に誰かと関わっていくビジネスではないので、基本的に1人完結で利益を出していくことができます。人間関係で消耗している人にとっては人間関係ストレスのない稼ぎ方ができるので良いという反面、当時の僕は少し寂しいなと感じていました。

大学を休学していたというのもあったかもしれません。ビジネスを始めるタイミングで、それまでの友達全員と縁を切ってしまっていたので、関わる人が家族以外いなかったんですよね。所属するコミュニティは大学以外に元々なかったので、このまま1人で続けていても寂しいし、稼げる金額が増えるだけでちょっと物足りないなと思い始めていました。

僕が入っていた物販スクールも勿論あったんですけど、みんなで頑張るというよりは、それぞれがみんな個人でやっているという感じでした。そこでのやり取りも形式的なものばかりで、稼げるようになった後は講師の人たちともあまり連絡を取る機会も自然となくなっていったんです。

そこで僕は当時抱えていたそのモヤモヤを解消するために、“あること”を始めます。

実は当時僕は物販を始めるのと同じタイミングで、Instagramで物販の途中経過や利益報告などを発信していたんです。

発信といっても可愛いもので、今の僕みたいなしっかりとしたビジネス発信ではなく、大学生がちょっと趣味で始めてみたような小さなアカウントでした。見てくれる人も毎回100人もいないくらい。でもせっかくだしビジネスの日記感覚でやってみようくらいの軽い気持ちで投稿をしていたんです。

ただなんとなくやっていただけなのに、たまたま僕の物販結果報告を見た人がDMで、

「かずさんのやられている物販のやり方を教えて欲しいです!」

と連絡をくれたんです。それが丁度3ヶ月目くらいの時でした。

その時僕はふとこう思ったんです。

(もしかして自分が今やっている物販を教えて欲しい人って、この人だけに限らず世の中にたくさんいるんじゃないか?)

と。

InstagramでDMをもらってから、

(自分自身も最初65万円払って学んだくらいだし、それよりもずっと良いサポートを、それより安くで学べるようにしたらみんな来てくれるのでは?)

と考えるようになりました。

それでDMをくれたその方に、

「いくらだったら僕の指導を受けたいですかね?」

と聞いてみたんです。

そしたらその方は、

「50万円だったら受けたいです!」

と返してくれました。

[実はこの方が今僕のスクールで物販トップ講師をしてくれている人なんです。]

まだ普通の大学生だった僕は、

(え!?そんな僕なんかが50万円も貰っていいの!?)

って内心思ったのと同時に、

(それだけもらうとしたら責任半端ないな。。。)

とも感じました。

今でさえ僕は法人の方に対して1時間5万円でコンサルをしており、個別コンサルともなれば300万円だとしてもやらないのですが、当時はまだ物販で月利20万円ほどだったので、50万円というのがものすごい大金に感じたんです。

なぜかというと、もし自分がコンサルをすることができれば物販を一緒にできる仲間も増えて、その時感じていた孤独感もなくなると思ったからです。自分一人でやるよりも仲間がいた方が楽しいし、教えて結果を出してもらうことができたら僕も嬉しいかなと。

幸い『物販』というのは市場も非常に大きく、出来る人の人数が増えても飽和するということがまず考えられなかったからこそ、教えようと思えたというのもあります

だから僕はまずその人に物販コンサルをすることにしました。

そしてそのタイミングを持って、僕は意を決する為に自分が所属していた物販スクールから独立することにしたんです。今度は自分が教えてもらう側ではなく、教える側として結果を出そうと思い、独立することを決めました。

※ちなみにその物販スクールは僕が抜けた半年ほど後になくなったらしいです。代表の方は他にも事業をやっていたので、スクール自体は元々長く続けるつもりではなかったとのことでした。当時お世話になった講師陣の方には感謝しています。社会経験がなく無知だったで失礼な僕に対して丁寧に指導してくれたおかげで今があります。

そのような流れで僕は物販コンサルをすることになりました。物販を始めて4ヶ月目になる頃です。

ただとはいえ、普通の大学生です。数ヶ月物販をかじったとはいえビジネス経験が一切ない僕は、コンサルと言っても何をしていいか分かりませんでした。

当時は学習動画も何もなく、契約書がどうこうとかも分からず、すぐにコンサルを始めるということはできなかったんです。

なので自分の物販も一旦ストップして、取りあえず僕のコンサルを受けたいと言ってくれていたその方に結果を出してもらうことだけ考えて指導することにしました。

ただ契約書やら、手続きやらを準備するのには手こずりまして、2ヶ月程かかりようやくスタートする段階までいきました。でも1つ運が良かったのは、連絡をくれた方も丁度その時に資金が用意できたようで、タイミングとしてはよかったんですよね。

そしてやっと満を持して物販コンサルを始めることができました。

最初に50万円を振り込んでもらった時は、自分の通帳のお金が増える喜びよりも、絶対にこの人を稼がせてあげないといけないというプレッシャーのほうが大きかったです。

最初の1人が肝心だと思っていたので、なにがなんでも物販で利益を上げてもらおうと思いました。

先程も少し書きましたが、この方が今僕の物販スクールでトップ講師をしてくれている『くぶきさん』です。

くぶきさんはその時サラリーマンとして営業をやられており、結婚もされていて、お子さんも2人いるという、僕とは違って限られた時間を使ってのスタートでした。

すごいやる気でいてくれて、

と時間がないながらも熱量はすごかったんです。

その熱量のおかげで僕も指導がすごいしやすく、物販では初月から8万円の利益を上げていただきました

しかもそこからあっという間に利益をグングン上げていき、3ヶ月目で月利30万円を達成し、4ヶ月目に脱サラをされたんです。

そこからくぶきさんは更に利益を上げて7ヶ月目で月利100万円を達成、12ヶ月目で月利200万円を達成。丁度昨日もくぶきさんと話していたのですが、先月の利益は400万円超えたとのことでした笑。物販一本でこの収益は凄すぎますよね。

それはさておき、まず一人目の生徒であるくぶきさんが結果を出してくれた事が当時僕はすごい嬉しかったんです。孤独感もなくなって、ビジネス自体がすごい好きになりました。こんなに人生でやりがいがあるものってあるんだなと。お金以上に感情としての満足感が強かったです。

ちなみに僕は今でもくぶきさんに、

「かずさんとの出会いで人生が変わりました。」

と言ってもらえるのがすごい嬉しいです笑。

そして、くぶきさんが結果を出すのに合わせて、

「生徒になりたいです!」

など、コンサルの依頼が僕のところへ多く来るようになりました。

というのも僕はくぶきさんのコンサル経過をInstagramで発信していたんですよね。その発信を見てくれた人達からコンサル依頼が多く来るようになりました。

ただこれ僕が全員見ていたら完全にパンクしてしまうなというのもあり、それ以降コンサルはしていなかったんです。

また、その頃にはもう既に僕よりも生徒のくぶきさんの方がもはや物販の知識を増やして、現役プレイヤーとしても強かったのもあって、僕自身が教えるのが本当に良いのかなという気持ちもありました。

正直僕よりも、くぶきさんのほうが講師として適任ではないかと思っていたんです。

そこで僕はとあるアイデアを思い付きます。

それが、

だったんです。

僕が代表としてスクールの運営をし、物販講師としてくぶきさんに付いてもらうという形が一番最適であり、上手く回るだろうという確信がありました。

そして僕はそのアイデアをくぶきさんに話し、

「絶対にうまく行かせるので、協力して下さい!」

とお願いしました。そしたらくぶきさんは即答で、

「是非!一緒にかずさんとスクールやりたいです!」

と返事をくれたんです。

そして、今となってはこの業界に名前も広く知られるようになった物販スクール『MIRAISE(ミライズ)』が創設されます。

まさか当時の僕は将来こんなに大きなスクールに成長すると思ってもいなかったので、とりあえず5人くらいの生徒を募集してみようという感じでスタートしたんです。

SNSで募集をかけたら、50万円という価格だったにも関わらず、1時間で5人の生徒枠はすぐ埋まり集まった生徒さん達は、

「よし、これからみんなで物販頑張ろう!」

とすごいやる気満々だったんです。

それが僕らのスクールの一歩目でした。

とはいえど、僕もくぶきさんもスクール運営の経験なんてなくて。今は事務所もあったり、指導カリキュラムやオリジナル教材サイトも充実しているミライズですが、当時はそんなものは一切なく、どうやって教えていこうかみたいな所からスタートしたんです。

僕らは、

(とりあえずオンラインだとしても毎週みんなで集まれたらいいよね。)

(まず物販という言葉自体を知らないビジネス初心者の人が大半だろうから、そこから教えよう。)

(動画で学べるようにしたらいいかな。)

(サポート期間は無期限の方がみんなも安心だよね。)

などなどまだ分からないことばかりで、手探り状態でして。

当時の生徒さんには申し訳ないのですが、物販で稼ぐための環境として考えると、当時より今のほうがミライズはずっといいんです。笑

でも当時の生徒さんもすごい熱量高く頑張ってくれて、続々と結果を出してくれました。

その中のひとりが、今は講師として一緒にやってくれているこはく君なんです。

今でさえ月収300万円とか、多い時だと月に500万円以上も稼ぐこはく君ですが、最初に彼が僕へ連絡をくれた時は貯金68円しかない貧困大学生でして(笑)。しかも貧乏なだけならいいんですけど、全然喋らない、ほんと冴えない大学生だったんです。こはく君は静岡の奥地に住んでいる田舎っ子で、最初僕が、

「まずはメルカリを使って物販をやっていこう!」

と教えてあげても、

「メルカリって美味しいんですか?」

くらいのポンコツだったんです(笑)。

そんな彼も借金をしてまでミライズに入って物販を学びたいと言ってくれ、今からもう3年前にミライズ初期メンバーとして入ってくれました。

彼の他にも初期メンバーはやる気が異常に高い人ばかりで、その人達も今ミライズの講師になってくれています。

それにしても当時はもう本当にボロボロの教材サイトで、動画も雑音がめちゃくちゃ入っていて聞き取りづらかったりしたので、今思えばよくそんな中でみんな結果を出してくれたなって。

僕らは、

「もっと生徒実績を伸ばしていくためにはどうしたらいいか」

「どうやったら生徒さん達が学びやすい環境を作れるか。」

などと

生徒募集も定期的に行っていく中で、色んな状況の人が参加してくれるようになり、それに合わせて僕らも指導カリキュラムを確立し、より分かりやすい物販コンテンツへ、より結果を出しやすいサポート体制を整備していったんです。

それもあって、もう今では学生だけではなく、

などたくさんの方がミライズへ参加し、結果を出してくれています。月利数万円から、月利100万円を超えて、多いと月300万円の利益を出す人だっているんです。スマホもそんなに使い慣れていない83歳のおばあちゃんでさえ物販で月20万円稼いでいるくらいなのでね。

そして今ではその生徒実績をSNSなどで見て、ミライズへ入りたいと言ってくれる人が増えました。その影響もあって現在300名を超える生徒さんが一緒に物販をミライズで頑張っています。

結果を出してくれた生徒さんの中から講師になりたいと言ってくれる人も増えて、今ではくぶきさんだけではなく、先程伝えたこはく君、他にも10名以上の人が運営に加わってくれています。

僕が3年前に、

「絶対に物販スクールうまく行かせるので。」

と言った約束を守れてよかったです。

そしてスクールが大きくなるにつれて、僕の収入も増えました。

初月10万円を達成して喜んでいた僕でしたが、

6ヶ月目:80万円

8ヶ月目:100万円

12ヶ月目:200万円

と月の収益を伸ばし、会社を設立してからも、

1期目:3000万円

2期目:1億2000万円

3期目:1億4000万円

と、順調に売上は伸びて今に至ります。利益率も高く、今は毎年1億円ほどの利益が残っている形です。

出版社さんからお声掛けを頂いて、学生時代に本も出し、東京の書店でビジネス書ランキングNo.1も獲得することができました。

休学していた慶應大学もこの前卒業して、

続けてきたSNSも現在は、

・Instagram1万人

・Twitter4万人

・TikTok16万人(メイン)

・TikTok6万人(サブ)

と多くの方にフォローいただけるまでになりました。

最近はSNSだけでなく、ビジネスをこれから始めたい人に向けてメルマガ配信もしているので以下のフォームより登録してみて下さい。

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既に3万人以上の方に登録してもらっていて、メルマガ登録者さんの中からも実際に物販で利益を出している人が最近めちゃくちゃ増えていましたので、是非あなたもその一員になって下さい。

しかしビジネスとしては上手くいっていた僕に、実は今から半年ほど前に突然辛い出来事が起こったんです。

実は6ヶ月前、僕の母親が倒れました。

毎週行っているスクールのコンサル中に高校生の妹からいきなり電話がきて、

「お母さんが倒れた。今救急車呼んで病院に行くところ。」

と言われたんです。妹の声も震えていて冷静じゃなさそうだったので、病院名だけ聞き、僕はコンサルを講師に任せて、急いでタクシーに乗って病院へ向かいました。

頭の中が真っ白になりました。

タクシーに乗っていたのは20分くらいでしたが、それが人生で一番長い20分でした。

(もしもこのまま会えなくなったらどうしよう。)

と頭の中がずっとグルグルしてました。

そしてふと今までを思い返すと、自分ってこれまで何も親にしてあげられてないなと思ったんです。

小さい頃から僕のことを一番に思ってくれて、どんなワガママであっても僕のいうことを聞いてくれて、一度も反対せずに、

と背中を押してくれたのに自分は何してたんだろうと。起業したいから100万円貸してといった僕に深く問い詰めず、翌日に黙って振り込んでくれた母親になにしてたんだろうと。受験に落ちた時もお前のせいだなんてひどいことを言って。親から受け取ってきたばかりで、まだ自分はなにもあげられてないのにって。このまま居なくなっちゃったらどうしようと、申し訳なさと焦りと辛さと不安ともうなんとも言えない気持ちでした。

病院に着いたら、丁度母が乗った救急車も同時に到着したタイミングで、そこには辛そうに横たわっている母がいました。顔が真っ青で、お腹をおさえていて、僕は何が起きているんだろうと思いました。今までの色んなことが頭の中でフラッシュバックして、一番に出てきた言葉が、

「大丈夫?」

ではなくて、

「ごめんなさい。」

でした。

今まで本当に迷惑をかけて、なんの恩返しもしてあげられてなくて、ごめんなさい。そういう気持ちいっぱいでした。

でも幸いなことに、なんとか母は命に別状はなく、無事に回復することができました。

本当に本当によかったなって。救急車から出てきた時は不安で不安で仕方なかった僕も少し胸の痛みが取れました。

これで散々迷惑をかけてきた罪滅ぼしをすることも、今までの恩返しをすることも出来るなって。

なので母が退院してからは定期的に家族でご飯に行くようにしています。

丁度この前も母親の誕生日だったので、家族で1人2万円する東京の焼き肉に行ってきました

老後に際してお金の不安はして欲しくないので、今は毎月100万円の仕送りをしていますし、来年は1泊50万円するモルディブ旅行へ1週間一緒に行く予定です。

今までしてきてもらった分くらいは少なくとも恩返しがしたいなって。別にそのためにいくらお金がかかろうと構いません。それがビジネスがうまく行った今の自分にできる最大の親孝行だと思っています。

でも、そんな僕がいま一番後悔していることがあります。

ビジネスでどれだけ結果が出ても唯一いま後悔していることがあるんです。

それは、

「もっと早く親孝行できればよかった。」

ということ。

今まで散々両親に迷惑をかけてきて、傷付けてきて、なのに全然親孝行できていませんでした。

母親が倒れたときだって、今回はたまたま命に別状はなかったですが、もしかしたらそのまま会えなくなってしまっていたかもしれません。もしそうだったとしたら僕は何も両親に恩返しできないまま、一生後悔していたと思います。

だからあなたには僕と同じ後悔をして欲しくありません。早く自力で稼ぐスキルを身につけて、両親に親孝行するのは勿論、大切な家族に恩返しをしてあげて欲しいです。もしものことがあって、もう恩返しができなくなってしまってからでは遅いんです。

「あの時もっと親孝行できればよかった。」

「もっと早く稼げるようになっておけば、色んな恩返しができたのに。」

なんて思わないためにも、今から

僕が自分の力で稼げるようになったきっかけは「物販ビジネス」でした。「物販ビジネス」に出会ってなかったら、今頃も昔のように貯金なんて一切貯まらないまま、自分のことで精一杯だったと思います。

だからあなたがもし僕と同じような後悔をしたくないと思うのであれば、これを機に「物販ビジネス」を始めて安定した収入を得られるようになり、早く家族に恩返しをしてあげて欲しいです。

僕の所へ来ていただく人の中でも、

「自分の力で稼げるようになって、早く両親に親孝行したい。」

「今の仕事をやめられるだけの収入を作って、家族との時間を多くしたい。」

と相談してもらうことは多いです。

そのような方の悩みを解決する為に、僕は今まで物販スクールをやってきました。

綺麗事に聞こえてしまうかもしれませんが、僕は自分が今している後悔からも、

という一心でスクール運営をしております。

物販スクールといっても、世の中には怪しかったり詐欺的なものが多く、まともなところは全然ありません。というよりほとんどが稼げないコンテンツを教えていたり、サポート体制がグダグダだったりと質の低いところばかりです。僕の元にもよく騙されましたという相談が来ます。

今まで散々僕らのスクールを真似してくる所もあったのですが、そういう偽物の物販スクールはすぐに消えていきました。僕らは信念をもってスクールの運営をしてきたので、表面上のところだけパクってもうまく行くはずありません。

僕はそういう低質なスクールを1つ残らず駆逐したいと思うと同時に、副業やビジネスで稼ぎたいと一歩踏み出した人が報われる環境を作りたいです。僕を信じてついて来てくれた仲間の期待を裏切りたくないし、生徒さん達には全員ミライズに入って物販で稼げるようになってよかったと思って欲しいです。

だからこそ僕はミライズを、

「生徒実績が日本No.1の物販スクール」

に出来るように死ぬ気で成長させていきます。

月利10万円から100万円超えまでもっとたくさんの実績者を増やしていくことをここに確約します。

もっと多くの方に僕のようにビジネスによって人生を変えるという体験をして欲しいですし、僕と同じように自分が稼いだ後はしっかりと両親や家族など周りの人にも還元してもらいたいです。

物販ビジネスをきっかけとして、自分のスキルでお金を稼げるようになる人を1人でも多くしていくのが僕がこれからやりたいことです。

とは言ってもね、僕は、

いきなり「物販スクール『ミライズ』に入りませんか?」

みたいな事は言いません。

最初からいきなりスクールと言っても敷居が高過ぎますよね。まだ僕のことを知って間もないと思いますし。

なので今回は、

『無料メルマガ・LINE物販講座』

を僕が1から作りました。

まだあなたは物販の”ぶ”の字も知らないくらいだと思うので、まずはこの『無料メルマガ・LINE物販講座』でゼロから知識を学んで下さい。

僕がビジネスを始めてからの5年間で得てきた知識をもとに、動画などを使って分かりやすくまとめてあります。

実はこの『無料メルマガ・LINE物販講座』を作るのに【合計130万円以上】の制作費がかかっているんです。ほんと大赤字のキャンペーンになっているので、少しでも多くのことをこの『無料メルマガ・LINE物販講座』から学んで下さい。

全く副業やビジネスをやったことがない人でも理解できるようにしてあります。

もし講座を見進める中で質問や相談などあれば、なんでも聞いてもらって大丈夫です。僕が一人一人に個別で対応させてもらいますね。

しかも近日中にはメルマガ・LINE登録者さん限定でなんと『メルカリ物販攻略セミナー』”無料開催”する予定なので、是非それにも来て下さい。また案内をメルマガで流しますね。

※最近メルマガ登録者さんが一気に増えた関係で配信料が上がってしまったので、あと【30人のみ】でメルマガ募集は締め切ります。予めご了承ください。

この『無料メルマガ・LINE物販講座』で学んで、更にミライズでも勉強したいよって人は是非僕のスクールでもお待ちしております。

ちなみに今回はメルマガ・LINEを登録してくれた人には以下の5大特典を用意してあります。

是非しっかりと僕のメルマガで学んで、これを機に物販で収益を上げていきましょう。

では次はメルマガでお待ちしております。

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今この文章を書きながら、昔をすごい懐かしく思います。ビジネスを始めるまで全然人生が上手く行かずに辛いことばかりで、人間的にも未熟でした。両親を含めて周りの人にもたくさん迷惑をかけてきたなって。

でも、そんな僕はビジネスを始めて今は昔と180°違う景色を見られるようになりました。確かに最初の一歩目を踏み出すのは怖かったけど、あの勇気が自分の人生を変えてくれたんです。

だからこの文章を最後まで読んでくれたあなたにも、この文章をきっかけに、僕と同じように人生を変えてもらえたら嬉しいです。

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